8月23日 SE06列車Hue移動日 2日目  

SE06列車 移動経路図 (出展: Google Map)
本日の起床は5時過ぎで、列車は快調に進んでおり途中ではほとんど目が覚めなかった。
次の停車駅はボンソンだが列車は1時か近く遅れているようだ。
フエの到着は14時前の予定だがこれは大分遅くなりそうだ。
さすがに1時間の遅れを取り戻すのは難しいだろう。

7時頃に車販の朝食販売が回ってきたので頼むと今回は麺のフォーだった。
モツ系のお肉がたっぷりと入っているがちょっと臭みがあり、完食するのには苦労した。
同室の家族連れは購入することなく自分たちで用意した朝食を食べていた。

その後列車は若干遅れを取り戻しつつ、途中駅で他の列車を待たせながらこちらは快調に通過して行く。
同室の3人は8時過ぎに到着したタムキーで下車していき、室内は私一人の貸し切りとなる。
人の往来の激しいダナン−フエ間は新しい乗客が来そうだが当面は一人の室内で車窓を楽しむ。

ベトナム中部の大都市ダナンには11時前に到着するが、やはり1時間近くは遅れたままだった。
ここでは列車の進行方向が変わるため機関車の付け替えがあり停車時間が長めなことから一度ホームに降りて機関車の連結風景を見に行くことにする。
ダナンからの牽引機はD19Eの後期型で駅外れの側線で待機している。
構内の配線の見ていると機関車の付け替えにはあまり適している配線にはなっていないなぁなどとつい自分の仕事の視点で見てしまう。
 
ダナン駅の機関車付け替え作業
 
ダナン駅

ハィヴァン峠
機関車の連結も特に問題なく完了したのでいつ発車するかわからないので、すぐに自分の席に戻ることにしよう。
部屋に戻ると向かい側のベッドの上段には地元の若い男性、向かい側には日本人ぽい女性が座っていた。
話してみると大阪から一人旅でベトナムに来ているようで昨夜はダナンに一泊し今夜はフエに泊まるようだ。
この方は旦那さんが現役の頃は仕事で海外を飛び回っていて、リタイアした後は今度は自分の番とあちこち一人旅しているとのこと。
なおお気に入りはロシアとのことで、ウクライナの件がありもう当面いけないと嘆いていた。

列車はダナンを出発すると途端に海沿いの曲線が多い区間に突入する。
列車交換の都合か信号上ごとに細かく停車して対向列車とすれ違う。
そのうち段々と高度が上がり、海まで山脈が迫って隘路となっているハィヴァン峠のハイライト区間に突入する。
ただ高度はそれ程でもなく、途中の線路の勾配もそこまで急ではなさそうなのだがとにかく曲線が多く、その多くが小半径のカーブなので列車の速度は上がらない。
カーブでレールを軋ませながらノロノロと列車が進んでいくが、ベトナム国鉄一の難所であることは間違いない。
途中いくつかのトンネルを過ぎて線路が下り坂に転じるとすぐ高度を落として海岸線付近を走るようになると峠区間は終了だ。
他の区間は70km/hで走行する列車もさすがにこの区間では40km/h程度での走行が多く、たまに50km/hまで速度を上げるが長続きはしない。

ハイヴァン峠を抜けると下車駅のフエまではあと1時間程度だ。
途中駅には古いルーマニア製のD11H機関車が留置されていたが、稼働機なのか廃車されたものかは判断しずらい状態である。
一応留置場所の周囲の状況から稼働機のようではあるがすぐにでも廃車になりそうな感じだ。

ハィヴァン峠

ハィヴァン峠

ハィヴァン峠

ルーマニア製 D11H機関車

フエ駅
フエ駅には30分遅れで到着したので、多少は遅れは回復したみたいだ。
同室の日本人女性と別れ、先頭の機関車の方に行ってみると荷物車からは新品のバイクを荷下ろし中だった。
おそらく乗客の荷物なんだろうけど意外なものも一緒に輸送しているものだ。
改めて出口に向かう途中客車の台車を見ると見慣れた国鉄近郊型用のDT21、TR62系の台車を履いていた。
なんとなく客車の縦揺れになじみがあるようなと思っていたが国鉄の台車と同じであれば似たような乗り心地になるのかもしれない。

駅舎を出ると客待ちのタクシーがすごいことになっており、客引きを断りながら駅前広場を抜けて今夜の宿となるモンディアルホテルに向かう。
距離としては500m程度で大通り沿いなので徒歩でも問題はない。
歩道もタイルがキチンとしておりカートを引くのも苦労はないが、ホテル近くはバイクの駐車が多く車道を歩かねばならないのが難点だ。

ホテルには無事チェックインし荷物をおいたら近くの踏切で後続のSE04列車の撮影だ。
写真が取れるポイントはあんまりなさそうだが、とりあえずホテルから近い踏切に行ってみて前後の区間で列車の撮影が可能かどうか見て回ることにしよう。

国鉄DT21,TR62系と同一の台車

フエ駅

ホテルを出発し徒歩10分弱で目的の踏切に到着、線路際まで建物が立ち並んでいるようだが、フエ駅側には線路に沿って側道があるのでそちらのほうに行ってみるとまあまあ引きが取れる場所があったのでそちらで列車が来るまで待機させてもらう。

私が乗車していたSE06列車も遅れていたので後続のSE04列車も遅れているだろうからある程度の待ち時間になるのは覚悟していたが、相変わらず暑い。
待機しているのは道路上だが住宅地のど真ん中なので近所の子供たちが珍しい外国人がカメラを持って立っているので集まってきた。
5人ほど子供たちがやってきたが一人英語を勉強中という女の子からいろいろと質問をうける。
お互い英語のレベルが高くないのでかえって意思の疎通がうまくいっている。
お決まりのどこから来た?何している?から始まり質問に応えていると子供たちの家族まで出てきて、水のペットボトルをいただいたり、日陰にベンチを出してくれたりと非常に申し訳なくなってくる。
混み入った話になってくるとスマホの翻訳機能を使ってそれぞれ意思疎通しなんで私が写真を取りに来ているのかは理解できたようだが、なんで鉄道が好きかまでは理解できないようで困惑していた。
みんな興味深そうに周りで聞いているが言葉が離せないのでみんな恥ずかしそうにしている。

次に現れたのはこの家の家長と思われるカンフーの老子もしくは長老といった風貌の真っ白い長い髭が印象的な老人が出てきた。
外見は威厳に溢れるものの非常に気さくな方だったが、てっきり子供たちのおじいさんかと思っていた。
女の子に私の年齢を聞かれたので答えると非常に驚いていたので、何事と思ったらお父さんより年上と言い出した。
この老子はお父さんで私より年下?いやいや老けすぎじゃないのと思ったが、南国の厳しい日差しで皮膚の老化が進みやすいのかもしれない。
ちなみに女の子は小学校の中学年くらいかと思っていたら中学生だったし、風貌と実年齢にギャップが多い一家だった。 

大分待って想定外の南行の貨物列車と予定していたSE04列車の撮影を済ませたので、一家にお礼を言って別れる。
水などをもらったので後でお礼をしておくことにするが、とりあえずは多少観光らしいことをするため町外れのティエンムー寺に向かうことにしよう。
大通りに出てGrabで車を呼ぶとこの町では一般人では無くタクシーがやってきた。
一般人の車よりはタクシーの方が個人的にはいいので特に問題はない。
車で10分強で川のほとりに建つ7重の塔が印象的なティエンムー寺に到着。
有名観光地なのか非常に人が多く、土産物屋も林立している。
お参りしている人も多いが民族衣装の人たちが非常に目立つものの、てっきり民族衣装はアオザイかと思っていたが中国っぽい服を着ている人が多い。
文化圏としては近いからおかしなことではないのだろうがアオザイが伝統衣装ではないのかと初めて知った。
 
 
南行貨物列車

SE04列車

ティエンムー寺

ティエンムー寺
お寺を適当に散策したら大分日も傾いてきた。
そろそろ撤収にはいいころ合いとのことで、川沿いを少し歩いてから再度Grabでタクシーを手配してホテルに戻る。
先ほどの家族にお礼をしておこうと思い、一度ホテルを出て近所の商店でペットボルトのジュースを買い込み一家の家に向かう。
子供たちはいなかったが老子は玄関先で涼んでいたのでジュースを渡してお礼を言っておく。
言葉通じなかったがわかってはもらえただろう。

そのあとはホテルに戻りシャワーを浴びたらもう日が暮れて外は暗くなっていた。
夕食を食べに表に行くがローカル向けの食堂はなかなか敷居が高くて入りずらい。
何とか大丈夫そうと思って入った店はなんと韓国料理店だった。
店の人は現地の人ばかりなのでぱっと見はわからなかったが、メニューを見ていておかしいと気が付いたものの、さすがに注文を取りに横で待たれてはキャンセルしずらいので諦めてここで食事にさせてもらおう。
もっともメニューは韓国語読みでハングルなどは書かれていないが、値段でこれかなと思って注文して出てきたのは部隊チゲであった。
基本は鍋にインスタントラーメンが入れられたものであ、正直わたしにはいろいろな意味で辛い。
とりあえず適当に食べたが全部は食べられず残してしまった。
そのあとは辛さにダメージを負った胃をさすりながらホテルに戻るが、ベトナムの料理が食べたかったのに韓国料理だったとはなかなかうまくいかないものだ。
帰り道に辛さで水が足りなくなりそうなので商店で補給してからホテルに戻り、写真やGPSのログを整理したら就寝するのだった。